うつ徒然diary

鬱になって行く過程をせきららに書きました。その後、治療の為に自分なりにもがきます。

戦力外通告

朝からため息をつく事が多くなりはじめ、仕事でもミスが続きます。他のスタッフからは見限られてしまい、まずい雰囲気です。

船の繁忙期には一人部屋からスタッフとの二人部屋に移されてしまい(乗船客優先の為)、会話をするでもなく仕事でもプライベートでもすれ違いが続いていました。

その頃から笑顔が消え部屋に閉じ籠り、TVばかり見ていました。

相手からすれば仕事ではお荷物でしかなく、プライベートでは無表情無口の相手です。飲み会にも誘われなくなりました。当然だと思います。何とかしたくても空回りばかりです。お客様との会話も弾まず、接客が苦痛に感じてきました。

そしてついに親方から下船の命令がくだります。予定より1か月もはやく。

プライドはズタズタでした。

日中ぼーっとする事も多くなり、しかばねのようです。言葉が上手く出て来ません。太陽や海が憎く、空に向かって叫びたくなりました。

クルージング

翌日親方から船の生活での説明を受けます。

[少し早いバカンスみたいなものだよ]

本当だろうか?不安で仕方ありません。あわてて荷物をまとめて、友人や親に連絡をとります。前日はよく眠れませんでした。

乗船初日、台風が近づいていて海はひどく荒れ僕は船酔いします。元々酔いやすく寝不足と緊張も重なり、最悪でした。途中で上がらせてもらい、部屋で寝ようとしますが、船体がひどく揺れるので金属音が気になり、全く眠れませんでした。

2日目、ランチの営業中に包丁で指を切ってします。あわてて止血しますが血が止まりません。船というのは病人やケガ人にたいして2次感染防止の為に、隔離や下船させたりします。衛生管理が特に厳しい場所です。完治するまで僕は仕事ができませんでした。

他のスタッフに迷惑をかけている事、自分の不甲斐なさに激しく苛立ちます。

ホールのスタッフは外国のスタッフばかりでコミュニケーションにも苦労しました。船内は英語表記で方向音痴の僕はよく迷子になります。海上だと電波が届かないのでスマホも使えない事も多く、娯楽も少ない閉鎖空間は慣れるまで時間がかかりました。

この頃から僕は不眠症になります。

予兆

寿司職人として10年目を迎え、新しい事をしてみたくなり、先輩が自分の店を出す事を聞きつけ、雇ってもらえる事になりました。

しかしまだ店はできておらず、その間先輩が働いている店の姉妹店に助っ人として働く事になりました。

そこは忙しい店で、終電に乗れるギリギリまで働き、片付けは任せていました。しかし罪悪感と通勤手当がないのが馬鹿らしくなり、思いきって引っ越す事にしました。先輩の店にも通えるチャリ圏内の物件を探しだします。毎週月曜日が定休日だったので、区役所の手続きや引っ越しの手配なので最初の1か月は休みがないようなものでした。

僕が勤め始める前に、若い衆が逃げてしまったらしく、ホールも厨房も慢性的な人手不足状態で、僕が一番下の立場のようなものでした。年下のスタッフに気をつかわれて、それでもなんとかランチは握らせてもらい、追い回しから仕込みに掃除、整理整頓に電話番と率先してやっていました。ストレス発散することもなく、しんどい日々が続きます。

1か月も過ぎ、スタッフとも打ち解け慣れ始めた頃、突然親方から船に乗ってくれないかと言われます。乗船する予定だった人間が交通事故でケガをしてしまい、回り回って僕に白羽の矢が立ったらしいのです。全国をクルーズするらしく期間は2か月程、しかも2日後。

こんな機会もうないかも知れない。僕は受けてしまいました。

今思えば、体調不良や経験不足を理由に断るべきでした。

転職、引っ越し、船。

僕はこれも試練だと安易に考えていました。