うつ徒然diary

鬱になって行く過程をせきららに書きました。その後、治療の為に自分なりにもがきます。

絶望

精神科、心療内科の病院に行くことに抵抗がありました。医者にあんたはおかしいと言われる事が非常に怖くて、踏み出し切れませんでした。凄くハードルが高いような、そんな気がしていたので、病室に入ったときは落ち着きませんでした。

自分の名前が呼ばれて、いよいよ診断です。

眼鏡をかけた不健康そうな30代後半の医者でした。

「どうされましたか?」

「眠れなくて…」

「いつから?」

「一月以上です。」

「何か原因は?」

「仕事のストレスかと。」

「その他に何か症状はありますか?」

「毎日楽しくなくて」

「それは脳の伝達物質が足りていないんですね。ご存知でしたか?」

フリップを出し、説明をつづける。

3分後

「…という事なんですよ」

「はぁ」

違う、俺はそんな事の説明を聞きに来たんじゃない。ただ話を聞いてもらいたいんだ。

「今、一番つらいのは何ですか?」

「眠れない事です。」

「それじゃ睡眠導入剤を2週間分出しときましょう。まずはしっかり睡眠をとってから様子を見ましょうか。」

「そうですね。」

「それじゃお大事に。」

時間にして5分間。呆気なく終わったしまった。原因を探られるわけでもなく、病名を告げられる事もなく、ただ流れるような問診。

この医者ではダメだ。僕はそう思いさらに憂鬱になり、絶望した。

冷静に考えれば、もっと食い下がって自分の症状、不安を言うべきだったのだが、正常に物事を考えられなくなっていた僕は出来なかった。万策つきた。僕はうなだれ、死ぬ事を考えていた。

症状

この頃は朝4:00頃まで寝付けず、1~2時間睡眠か、徹夜が週に3日というありさまでした。

病院に行こうとしますが、休みの日に寝過ごしてしまい、憂鬱と体のダルさからベッドから起き上がるのが面倒になり、行けませんでした。

店のスタッフも異常に気づいて、声をかけてくれましたが、なぜか強がって何度も大丈夫、大丈夫と僕は言い続けていました。自分でもよく分かりません。弱音は吐いてはいけないとそう思いこんでいました。

その頃僕は毎日苦しくて、とにかく楽になりたいと、死ぬ事を考えるようになります。これはさすがにマズイと思い、なんとか気力を振り絞って近所の心療内科に行くことができました。

地上にて

下船して僕は少し早いお盆休みをいただきました。予定などないのでしばらくは外食をしたり、DVDをレンタルしていました。友人と食事をしたり、帰省もしましたが気分が晴れません。昼夜逆転の生活が続きます。

身体中ダルく、ベッドに横になる時間が増えていきます。

そして休み明けの仕事中、僕は違和感に気付きます。いつもやっていた仕事ができなくなっていました。魚のおろす手順を間違えたり、言葉の聞き間違いも多くなり、しまいには足し算ができなくなりました。予約の電話の受付で、カウンターに入れられる人数がわからないのです。時間をずらしてパズルのようにお客様をさばくという、簡単な事ができなくなっていました。冗談なしに1+1がわからないのです。保留でお客様を待たせて、他のスタッフに変わってもらう事もありました。電話恐怖症です。

ついには味覚もおかしくなり始めて、コンビニの弁当と魚のネタの味の区別がわからなくなりました。

この頃は自分は認知症になったかもしれないと恐ろしくなり、不眠症の期間は一月半を超えていました。文字を見ても頭に入りません。物事を論理的に思考する事と記憶する事ができなくなっていました。